ロシナンテス
先週の「行列のできる法律相談所」(日本テレビ)の島田紳介が応援したい人のコーナーに、医師の川原尚行先生が出演されたようです。見た方いらっしゃいますか??
川原先生は外務省の医務官を辞めて、単身スーダンの無医村に移り住み「NPO法人 ロシナンテス」を設立し医療活動をされているのです。今はスタッフも増え女の子のための学校を設立したり、子供達にサッカーを指導したり、スーダンの人々の為に一生懸命働いています。
ロシナンテスの記事が朝日新聞に掲載され、それを紳介さんが見て是非出演して欲しいと依頼があったそうです。
テレビの影響とはすごいもので、ロシナンテスのカレンダー(活動資金になります)も直後に完売になってしまったとか。
私と川原先生の出会いは9年前、大学2年の夏アフリカのタンザニアへ旅行に行った時にさかのぼります。
山形タンザニア友好協会(今になって思うとなんでそんなものがあったのか不明)の方々に混じって、大学生数名が参加しました。(「異文化コミュニケーション」という授業の一環で)
その日はマコンデという黒檀や紫檀を使ったタンザニア伝統の彫刻を体験しに朝からマコンデ村に行っていました。
旅行中ずっとお腹は下していたのですが、料理がおいしいのでかまわずバクバク食べていましたが、その日は胃がチクチク痛みお昼もあまり食べませんでした。夕方になって彫刻体験は終わり、その後日本人会の方と会食の予定がありバスで向かったのですが、途中から胃の痛みが激痛に変りダウン。食事会場のソファに寝させてもらい、大使館のお医者さまを待つことに。
「大使館の医務官=おじいさん」を勝手にイメージしていた私は現れたラガーマンのような若い男性に意識朦朧としながらもどっきり。
それが川原先生だったのです。
それから先生の車で大使館の医務室まで行き、熱を計ったら40度近くあり(幻聴も聞こえた)、もしかしたらマラリアかもしれないってことでタンザニア一番の大病院に直行したのでした。そこでレントゲン撮ったり、血液検査したり、入院の手続きも川原先生が全部やってくれました。
その病院はひと月前にできたばっかりで、部屋はお風呂付きの立派な個室でとても環境は良かったのですが、日本人が珍しいのでことあるごとに面倒なことがおきます。レントゲン技師はお金をちょろまかそうとしたり、病院中のスタッフが入れ替わり立ち替わり私の様子を見に来たり(夜中に目覚めると白い目と白い歯が笑ってて本当に怖かった)研修医達に囲まれてインド人にもっと英語勉強しろと言われたり(!)、とにかく入院も初めての私にとっては大変なことばかり。おまけに点滴をうつ場所がずれていて、手の甲がパンパンに腫れ上がってしまうという悲惨な目にも遭いました。
そんな困った場面を助けてくれたのが川原先生なのです。医務官としては当たり前のことなんだろうけど、異国の地で心細かった私はすっかりなついてしまったのでした。
結局マラリアではなく、すぐ退院しました。友達が迎えにきてくれて、私がダウンして出れなかった食事会の話などをきき、川原先生の奥さんがきれいだったとか、子供がすごくかわいかったとか、がっかりする話をきいて、ほわほわした気持ちから現実に引き戻されたのでした(笑)
その後日本に帰ってからお礼のメールをしたりしましたが、イギリスに赴任したという話を最後に消息不明となっていました。
それからそれから9年後です。いつもきいてるラジオのゲストに登場したのです!
てっきり大使館の医務官を続けていると思っていたので、その後の活動をラジオで知り衝撃でした。
昨年の1月には情熱大陸にもでたそうです(うちにはテレビがないので全く知らなかった)。
いてもたってもいられず番組にメールを送ったら、番組の冒頭で読まれ、川原先生も「あ、思い出した〜」と。
悠里さん(パーソナリティ)に読まれただけでも感動なのに、その後川原先生本人からお礼の電話がかかってきました。
覚えていてくれて感動です。
先生のやっていることも本当に素晴らしいです。
私も微力ながら応援していこうと思いロシナンテスの個人会員になりました。カレンダーもその時注文して今作業机の前に飾っています。
今月末には本も出るそうです。川原先生をずっと追い続けて写真を撮っている内藤順司さん(浜田省吾やスピッツを撮っているカメラマン)の写真もたくさん載っているようです。
気になった方は是非チェックしてみて下さい。
http://www.rocinantes.org/
しかし人の縁って不思議なものですね。
川原先生は外務省の医務官を辞めて、単身スーダンの無医村に移り住み「NPO法人 ロシナンテス」を設立し医療活動をされているのです。今はスタッフも増え女の子のための学校を設立したり、子供達にサッカーを指導したり、スーダンの人々の為に一生懸命働いています。
ロシナンテスの記事が朝日新聞に掲載され、それを紳介さんが見て是非出演して欲しいと依頼があったそうです。
テレビの影響とはすごいもので、ロシナンテスのカレンダー(活動資金になります)も直後に完売になってしまったとか。
私と川原先生の出会いは9年前、大学2年の夏アフリカのタンザニアへ旅行に行った時にさかのぼります。
山形タンザニア友好協会(今になって思うとなんでそんなものがあったのか不明)の方々に混じって、大学生数名が参加しました。(「異文化コミュニケーション」という授業の一環で)
その日はマコンデという黒檀や紫檀を使ったタンザニア伝統の彫刻を体験しに朝からマコンデ村に行っていました。
旅行中ずっとお腹は下していたのですが、料理がおいしいのでかまわずバクバク食べていましたが、その日は胃がチクチク痛みお昼もあまり食べませんでした。夕方になって彫刻体験は終わり、その後日本人会の方と会食の予定がありバスで向かったのですが、途中から胃の痛みが激痛に変りダウン。食事会場のソファに寝させてもらい、大使館のお医者さまを待つことに。
「大使館の医務官=おじいさん」を勝手にイメージしていた私は現れたラガーマンのような若い男性に意識朦朧としながらもどっきり。
それが川原先生だったのです。
それから先生の車で大使館の医務室まで行き、熱を計ったら40度近くあり(幻聴も聞こえた)、もしかしたらマラリアかもしれないってことでタンザニア一番の大病院に直行したのでした。そこでレントゲン撮ったり、血液検査したり、入院の手続きも川原先生が全部やってくれました。
その病院はひと月前にできたばっかりで、部屋はお風呂付きの立派な個室でとても環境は良かったのですが、日本人が珍しいのでことあるごとに面倒なことがおきます。レントゲン技師はお金をちょろまかそうとしたり、病院中のスタッフが入れ替わり立ち替わり私の様子を見に来たり(夜中に目覚めると白い目と白い歯が笑ってて本当に怖かった)研修医達に囲まれてインド人にもっと英語勉強しろと言われたり(!)、とにかく入院も初めての私にとっては大変なことばかり。おまけに点滴をうつ場所がずれていて、手の甲がパンパンに腫れ上がってしまうという悲惨な目にも遭いました。
そんな困った場面を助けてくれたのが川原先生なのです。医務官としては当たり前のことなんだろうけど、異国の地で心細かった私はすっかりなついてしまったのでした。
結局マラリアではなく、すぐ退院しました。友達が迎えにきてくれて、私がダウンして出れなかった食事会の話などをきき、川原先生の奥さんがきれいだったとか、子供がすごくかわいかったとか、がっかりする話をきいて、ほわほわした気持ちから現実に引き戻されたのでした(笑)
その後日本に帰ってからお礼のメールをしたりしましたが、イギリスに赴任したという話を最後に消息不明となっていました。
それからそれから9年後です。いつもきいてるラジオのゲストに登場したのです!
てっきり大使館の医務官を続けていると思っていたので、その後の活動をラジオで知り衝撃でした。
昨年の1月には情熱大陸にもでたそうです(うちにはテレビがないので全く知らなかった)。
いてもたってもいられず番組にメールを送ったら、番組の冒頭で読まれ、川原先生も「あ、思い出した〜」と。
悠里さん(パーソナリティ)に読まれただけでも感動なのに、その後川原先生本人からお礼の電話がかかってきました。
覚えていてくれて感動です。
先生のやっていることも本当に素晴らしいです。
私も微力ながら応援していこうと思いロシナンテスの個人会員になりました。カレンダーもその時注文して今作業机の前に飾っています。
今月末には本も出るそうです。川原先生をずっと追い続けて写真を撮っている内藤順司さん(浜田省吾やスピッツを撮っているカメラマン)の写真もたくさん載っているようです。
気になった方は是非チェックしてみて下さい。
http://www.rocinantes.org/
しかし人の縁って不思議なものですね。

1 Comments:
I have been searching all over for this! Thank God I found it on Yahoo.
Thx
DORINDA
[url=http://topblog.xitinblog.net/]interesting[/url]
Post a Comment
<< Home